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ただその無骨な眼差しを
「ぬん!」
つい先日、シグルド軍によって占領されたアグスティの城の人気のない一角で、裂帛の声と共にアーダンはまだ手に慣れぬ斧を振るっていた。普段は剣を扱う彼だが、最近は様々な武具の扱いを覚えようと、こうして暇を見つけては槍や斧の修練に励んでいた。
だが、剣とは重心も長さもまるで使い勝手の違うこれらの武器は、なかなか思った通りの軌跡を描いてくれない。全力で振るえば身体が泳ぎ、軽く振ると逆にしっかりと柄をつかめずにすっぽ抜けそうになる。
「……ふう」
ままならぬ自分の腕に多少の苛立ちを覚えつつ、溜息をつく。ここ数ヶ月、毎日のように剣の他に槍や斧や弓の訓練を続けているアーダンだったが、どれ一つとして物に出来たという実感がない。無論、たかが数ヶ月程度の訓練で達人になれるなどと思っていない。しかし、己の目から見ても一向に上達の兆しが無いとなると、嫌気も差してしまうというものだ。
「今日は、この辺りで止めておくか」
ふと空を見ると、さっきまで頭上にあったかと思っていた太陽が随分と傾いていた。どうやら、かなり長いこと練習していたらしい。肩にかけてあった手拭いで無造作に顔の汗を拭き取り、アーダンは練習の後片付けを始めた。
「あら」
アーダンが、普段は殆ど聞くことのない声を聞いたのはそんな時だった。その声には、聞き覚えがある――いや、ありすぎる。随分と前に数度だけ聞き、それでも記憶に残っていた清楚な声――
慌てて振り向くと、そこには想像通り隣国ユングヴィ公国のエーディン公女が立っていた。
「エ、エーディン様!」
アーダンは、慌てて手に持っていた斧を地面に置くと、膝をついてシアルフィ式の敬礼した。
「ああ、良いのです。たまたま通り掛かっただけですから」
エーディンは苦笑しながら、敬礼をやめるように手を優雅に振った。それに従い、アーダンは立ち上がる。当然、背の高いアーダンはエーディンを見下ろす形となってしまった。その状況に、アーダンは何となく居心地の悪さを覚える。
相手の方が上の身分ということもあるが、それ以上に彼女のような美貌の持ち主に見上げられるという慣れないこの状況が、アーダンにとってはとにかくこそばゆい。
「斧の練習をしていたのですか」
「え、ええ……」
それだけの返答をするのに、顔が赤くなってしまうのが自分でも判る。だが、それも無理はないとアーダンは思う。
エーディンはとにかく美しい。天上の女神と吟遊詩人が呼ぶほどだ。生まれたときから騎士一筋のアーダンにとって、女性というのはただでさえ慣れない存在だ。それなのに、これだけの美貌の持ち主には、どう対応して良いかも分からない。
本当に、こうして間近で見ていても美しい。彼の主君であるシグルドやバイロン、あるいは砕けた性格のアレクならば、もっと洒落た美麗字句でもって的確に彼女を表現できるのだろうけど、一介の騎士でしかないアーダンはただ美しいとしか形容できないが――だからこそ、そんな彼女に見つめられているだけで、天にも昇る心地になってしまう。
「これを振るうのですね」
エーディンは興味が湧いたのか、唐突にしゃがみ込んでまだ地面に置きっ放しになっていた斧の柄を掴む。それを見て、アーダンは慌ててそれを押し止めようとする。普段から武器を扱っている自分でさえ、未だ扱いかねる代物なのだ。いくら弓使いウルの血を引くとはいえ、プリーストの彼女が持てる物ではない。
もっとも、騎士の端くれとしては貴婦人に直接触れることなど出来ないので、ただ声のみの警告だったが。
「エーディン様、危険です!」
「いえ、大丈夫ですよ」
アーダンの心配を余所に、エーディンは微笑みながら腕に力を入れる。だが、それでも斧は柄の部分が僅かに持ち上がっただけで、それ以上は動かなかった。
「うわ……これはまた、随分と重い物なのですね」
「はあ、そう……ですね」
答えながら、アーダンは胸をなで下ろしていた。下手に持ち上げられて、エーディンが手を滑らせ怪我をするのではとさえ思っていたが、それが杞憂でしかないことが判ったからだ。これくらいしか持ち上げられなかったのなら、大事になることはあるまい。
それでも、危なっかしいことに変わりはないし、それに――自分が先ほどまで握っていた汗塗れの斧を美しい彼女が触れているという現実は、アーダンにとってかなり居心地が悪いものだった。
「エーディン様、そろそろ」
「……ええ、そうですね。判りました」
持ち上げられなかったせいか、恥ずかしそうに笑みを浮かべるエーディンは、やはりとても美しかった。
「……アーダンは、やはりジェネラルになるのですか?」
相手が誰であろうと、これから周囲が暗闇に染まる時間帯に女性を一人にしておくのは騎士としての名折れである。おまけに、ここはほんの少し前まで敵方の王が支配していた土地だ。アグスティの人々はシャガール王の悪政の裏返しとしてシグルドに友好的ではあるが、所詮は他国の軍である。内心の反発は、少なからずあるだろう。さすがに城の中は安全と思うが、用心に越したことはない。
そんなわけでエーディンを部屋まで送る事になった帰り道、アーダンは彼女から尋ねられた。特に隠すことでもないので、アーダンは大きく頷いた。
「え、ええ。そうです」
現在、アーダンの兵科はソードアーマーである。分厚い鎧で身を包み、自らの体で味方を庇い、愚直にただひたすら前進して血路を開く。それが、アーダンを含むアーマーの役目である。そして、その頂点への到達点とも言えるのがジェネラルである。騎士として、上級職を目指すのは当然の選択といえた。
当然、ジェネラルになるためには様々な関門が存在する。その中でも、最も基本かつ重要なのは、あらゆる武具に精通し、扱えるようになることである。特に、剣、槍、斧、弓は高い技能を求められる。
これが、なかなか難しい。槍や弓などは扱い方自体がまるで違っていて、初心者のつもりで一から始めているのでそれほど戸惑いはない。だが、斧は基本的に剣と同じく振るう武器である。無論、剣は突くこともあるが防御を重視するアーマーは、敵を怯ませられるように大きな弧を描く形の斬撃を多用する傾向がある。その軌道が、ちょうど斧のそれに類似するのだ。
重心がまるで違う武器を同じように扱う。決して器用とはいえないアーダンにとって、斧という武器は槍や弓と同じくなかなかの難物である以上に、違和感を感じさせる物だった。
その辺のことをゆっくりと――下手に早く喋ると、普段の粗雑な言葉が出てしまいそうだったから――説明すると、エーディンは目を丸くして驚いた。
「なかなか、大変そうですね……」
「い、はあ……恐縮です。でも、大変なことは事実ですが、それを言うなら他の者も同じ事です。弱音など、吐いていられません」
「……そうですね。良い心がけだと思います」
アーダンの返答に、エーディンは感心したかのように微笑む。それに、思わず目を奪われかけて――貴婦人の顔を用もなく見つめてしまうのは失礼に当たると気付き、目を反らした。
何となく、会話に詰まってしまった。清楚な姫君として育てられたエーディンは、親族でもない男性と自ら話す事はないと聞く。だから、男の方が会話をリードする必要があるのだが、それはアーダンのような武人にとってとても難しいことだった。
「……」
何となく、ただ黙って歩くだけというのはかなり気まずい状況に思えた。折角の――雲の上と思っていた人と連れ立った歩いているというのに、気の利いた一言さえ口に出来ない。焦れば焦るほど、上唇と下唇が乾いてべたべたと互いにくっつき、開くことさえ困難になりそうだ。
こんな時、親友達ならどうするだろうかと、アーダンは半ば現実逃避気味に考えた。アレクなら、その巧みな話術で女性を飽きさせることはないだろう。ノイッシュなら、丁寧で教養のある話をして女性を魅了するだろう。
しかし、アーダンには到底出来ない芸当だ。
アーダンは溜息をついた。貴婦人の前でつまらなそうに見えてしまう態度は厳禁なので、心の中で、そっと……いや、むしろ溜息などつきたいのは、このような粗忽者にエスコートされているエーディンの方ではないだろうか。
そんな考えをしてしまったせいだろう。途端に、周囲の空気が重くなったように感じた。
「……」
いやいや、落ち着け。そう自分を叱咤する。ここは、少しでも場を和ませられればそれで良いはずだ。何とか話題を見つけて、話しかければ良い。そう思って、とにかく口を開こうとしたら、エーディンの方から話しかけてきた。
「……最近、私もハイプリーストになるために勉強しているんですが……やはり、難しいですね」
「え?」
思わず出鼻を挫かれ、気の抜けた声を出して――アーダンは慌ててしまった。折角相手から話しかけてくれたのに、何て失礼な返事だろう。だが、エーディンはアーダンの態度に気を悪くした風でもなく、続ける。
「今まで杖の扱いしかやった事がないので。魔道書の扱いはやはりひと味違いますね。時たま、投げ出してしまいそうにもなってしまいます。ですが……上達しないのを少しばかり辛く思う日もありますが、無力なままというのはもっと辛いので……」
「エーディン様」
辛そうに目を伏せるエーディンに、アーダンはどう声をかけて良いのか判らなかった。
エーディンは、ひょっとしたらユングヴィ落城のことを気に病んでいるのかもしれない。不可侵の約を違えたヴェルダンに攻め込まれたユングヴィは、主力が遠いイザークに出払っていたこともあってあっさりと落ちた。その過程で、城を守っていた少数の兵士の多くが亡くなったという。エーディン自身、ヴェルダンの王子ガンドルフに一時拉致されていた。
あれは、主力の殆どが出払っていたから仕方がなかったと言える。事実、グランベルではエーディンやユングヴィに過失はないと認められ、むしろ他国を過信して国境の軍にまで招集をかけた政府上層部にこそ責任があると批判の矛先が向いた。
だが、エーディンがそんな事実を果たして望んでいるだろうか。何度か、戦死者を看取る彼女の姿を遠目に見たことがある。そんな時、彼女は決まって大粒の涙を流していた。今、エーディンはアーダンの前にいるせいか、涙を流してはいない。だが、
いや、ひょっとしたら心の中では、ずっと――そうだったのかもしれない。
「……」
正直なところ、アーダンはこの推察に自信を持てない。今まで、女性の心など理解できた試しがないのだ。ひょっとしたら、違っているのかもしれない。通常では有り得ない解釈なのかもしれない。
そんな考えが頭に浮かび、臆病になってしまう。でも、エーディンの伏し目がちな横顔を見ているとどうしてもこれだけは言いたくなった。
「そ、その……そのお気持ちを忘れずにいれば、きっと努力は報われると思います。その、応援して……い、います」
その一言を絞り出すのに、どれだけの勇気を要したか――アーダン自身にも分からない。
エーディンは、伏していた顔を上げてアーダンの目を見詰めた。しばしの時間、二人は見つめ合う。エーディンの目は綺麗で、アーダンの心臓は思わず太鼓のような大きな音を出した。少なくとも、アーダン自身は心臓の音がエーディンの耳くらいには届くほどの物に感じて、思わず胸を押さえた。五回ほど、鼓動した程度の時間が経ったくらいだろうか。エーディンは、口の端を持ち上げて笑みを作った。
「有り難う、アーダン」
「あ、いえ……」
何も考えずに口から咄嗟に出てくるのは、やはり面白みのない返事だ。どうにも落ち込んでしまうが……取り敢えず、さっき勇気をもってエーディンに投げ掛けた言葉は間違いではなかったらしい。それだけでも、良しとしよう。
アーダンが自己完結している横で、エーディンはくすくすと笑い出した。
「皆、私が弱音を吐くと気にするなとか慰めてくれるのですけどね。貴方みたいな、励ましの言葉は……久しぶりで嬉しかったわ」
「え? それはどういう……?」
「そうだ!」
アーダンが問いかけるのを遮るような形で、エーディンは手を叩いて彼女にしては大きな声を上げた。そして、とんでもない事を言い出した。
「ねえ、アーダン。斧や槍は無理ですが、弓で良ければ私が練習を見て差し上げましょうか?」
「は?」
目が点になる、というのはこういう時のことを言うのだろうか。アーダンは、とんでもない提案で思わず硬直した試行の中で、妙に冷静にそんな事を思った。だが、さすがにこれは不味い。エーディンほどの女性が、自分のために時間を費やすことはない。
「その、エーディン様。お気持ちは嬉しいのですが……」
「ふふ、舐めないでください。私もウルの血を引く娘、弓の扱いは熟知してます……送っていただいて、有り難う。それでは、お休みなさい」
「あ……」
断る間もなく、エーディンは姿を消してしまった。いや、単にドアを開けて、その中へと入っただけだ。どうやら、いつの間にか彼女の部屋の前まで来ていたらしい。
「えっと……」
一瞬だけ、ドアをノックしようとして――止めた。既に寝室に入った貴婦人を呼び出すなど、非礼に過ぎる。それにしても、困った。おそらくは単なる気紛れだろうが、エーディンの指導を受けるというのは酷く恐ろしい結果を招きそうだ。
華やかで大勢の目を引く彼女と供にいれば、確実に周囲で噂になってしまうだろう。自分で言うのも何だが、客観的に見てアーダンとエーディンは、身分も容姿もまるで釣り合わない。悪意――とまでは言わないが、微笑ましい噂になるとは到底思えない。
「どうしたもんだか……」
思わず、頭を抱え込む。それでも、少しだけ頬が緩むのは押さえられなかった。
唐突だっただろうか。エーディンは部屋の中で、そんな事を考えた。
さっきのアーダンの顔が思い出される。明らかに、驚いていた。予想もしていなかったのだろう。当然だ。そもそも、自分自身があんな提案をしたことに驚いていたのだから。しかし、無骨で不器用そうな彼が、必死に自分の相手をしてくれているのを見ていると――あの無骨な眼差しを、もう少しだけ見詰めていたいと思ったら、自然と口に出てしまったのだ。
さて、どうしようか。エーディンも、何だかんだで忙しい。シスターとして朝の礼拝に始まり、怪我人の世話や薬の調達の手配などをしていると、それほど自分の時間は取れない。
だが――
「まあ、何とかなるでしょう」
エーディンは、ベッドに入らずに椅子に座り、机に置かれていたペンを手に取った。どうやって仕事を効率よくこなせば、アーダンに弓を教える時間が取れるのか考えるために。
後書き
FE聖戦のSSをサイトに公開するのは初めてとなります。辰田信彦です。よろしくお願いいたします。エーディンとアーダンという、非常に珍しいカップル、いかがでしたでしょうか?
敢えてエイプリルフールの次の日に更新する。それが俺流(古い
今年もTYPE-MOONのエイプリルフールネタは面白かったです。
平成20(2008)年 4月2日 辰田 信彦