「……」
電灯もまばらな、真っ暗な道を走る。本来なら、俺が全力を出しても不可能な、有り得ない速度で。タイムを計る余裕なんて無いが、百メートルを七秒切るくらいの速さではないだろうか。
いかに人通りが少ない深夜とは言え、こんな異常な連中が誰にも見咎められないのも、遠坂が姿隠しか何かの魔術を使っているんだろう。
つい、さっきの事を思い出す。
「急がないといけないからね」
セイバーに抱えられた女性を見て、遠坂はそんな事を言いながらしゃがむと、俺の足に手の平を当てた。その瞬間、いきなり身体が軽くなった。遠坂は何も説明しなかったが、おそらく軽量化か筋力増強の魔術をかけたのだろう。
魔術師は魔術を隠遁するという原則を頑なに守るはずなのに、何の説明もなく俺に魔術を使ったのは、こちらを同類として認めたと言うことだ。確かにサーヴァントを連れている以上、俺が魔術師というのは火を見るよりも明らかだ。今更、隠し立てする必要もないということか。
「さあ、早く教会へ行くわよ」
遠坂の言葉と共に、俺たちは共に教会に向かって走り出した。
手短な遠坂の説明では、教会の神父には治癒の心得があるらしい。教会の神父は聖杯戦争の監督役であり、聖杯戦争に巻き込まれた一般人を治療したり、サーヴァント同士の争いの痕跡を消したりして、聖杯戦争が円滑に運営されるように裏から手を回すのだそうだ。
監督役というのは簡単にアーチャーから聞いていたが、そんな事までやっているのか。そういえば、昨日バーサーカーに襲われたとき、あの馬鹿げた攻撃によって道路がボコボコになっていたが、その後もニュースになっていなかった。不思議に思っていたが、あれも教会の人間が片付けていたのだろう。
ちなみに、アーチャーだがあれから姿を見せていない。おそらく、離れてついてきているとは思うが――遠坂がいるせいだろうか、姿を見せる様子はない。
あの公園を出発してから、十数分ほど全力疾走している。常人では決して出せない速度で走り続けているにも関わらず、息は殆ど上がらず、疲れも余り感じない。そういう魔術なのか、それとも怒りと焦りで疲れを感じていないだけなのか――どっちでも良い。とにかく、一気に教会へと突き進む。
道中は誰もが口を閉ざす。聞きたいことや話したいことは山ほどあるが、今はただ走るだけだ。
一歩前を走っている遠坂は、俺たちを振り返りさえしない。だが、警戒しているのは分かる。遠坂からは、肌が焼け付くかと錯覚するほど強い意識が向けられている。今は、霊体化して姿が見えない遠坂のサーヴァントも、こっちに意識を向けている筈だ。遠坂を攻撃する素振りでも見せようものなら、あの規格外に長い刀で一刀両断されるに違いない。
どうにも、落ち着かない。何だか、遠坂に敵意を向けられるのは――魚の骨が喉に引っかかったかのような不快感を覚える。
別に、敵と連れ立って走るのが嫌というわけじゃない。こうして、名も知らない女性のために、必死になって走ってくれている遠坂――そんな彼女と、敵対している今の自分の立場が不快なんだ。
だが、気にしていても仕方がない。俺は、無言で足を動かし続けた。
† † †
走っている内に、教会が見えてきた。
こうして教会に向かって走っていると、前に召還された時の記憶が思い出される。あれは、確かシロウがコトミネに連れ去られた時だった。シロウの生命力が弱っていくのを感じながらの突入だった。これまで感じたことのない恐怖と、頭に激痛が走るほどの怒りに全身が支配されていた。
あの時のことは、今思い出しても腸が煮えくり返る。神父に対してもだが、それ以上に自分が許せない。
シロウに対して剣を振り下ろしたあの感触。あれは生涯忘れないだろう。忘れられるものか。少しでも油断をすると、後悔から逃げ出したくて、自分で自分の首を刎ねてしまいそうになる。
正直、ここには絶対に来たくは無かった。視界に入った瞬間、聖剣をお見舞いしてやりたくなった。
しかし、落ち着かなくてはならない。凛の言葉を信じるなら、私が背負っている女性を直せるのは、彼女の知る限りあの神父だけだという。
あの神父に頼らなければならない自分の身が、酷く厭わしい。しかし、今はそうするしかない。
「……着いたわね」
「……ええ」
私たちは協会の門前に到着した。一見すれば、簡素ながらも壮麗な神の家。しかし、その内側は正に腐った卵であり、ここに住む聖職者は神など恐れもしない背教者だ。
思わず剣を構えそうになったが、何とか堪えた。凛は教会の主に断りもなく門を開け放ち、怒鳴った。
「綺礼、いるんでしょ! 出てきなさい。監督役としての仕事を持ってきたわよ!」
門をくぐってみれば、何の変哲もない礼拝堂だ。しかし、ここには嫌な思い出しかない。女性を預けたら、一刻も早く出たいくらいだ。
……実を言うと、私は中に入るのを一瞬だけ躊躇った。ここの神父は、私が前回もセイバーとして召還されたことを知っている。どんな陰謀を巡らせるか分からない男だ。そのような輩と顔を合わせ、僅かでもこちらの情報を与えるのは得策と思えない。今日の昼間、私がこの教会に来るのを渋った理由でもある。結局、アーチャーの話に上手く反論できず――もし反論してしまえば、知らないはずのことを知っているというのが露見してしまう――来ることになってしまったが。
しかし、私のことはコトミネがマスター権を奪って従えている筈のランサーによって、いずれ露見するだろう。ずっと霊体になっているわけにもいかない。シロウと共に歩き回っている以上、自分の身を隠し続けるというのは困難だ。ならば、ここまで来てしまった以上、気にせずに教会に入り、シロウについていって彼の護衛に徹するべきか。
もっとも、アーチャーが私の記憶とは異なる英霊が召還されている以上、ランサーもまた別の英霊が召還されていたり、コトミネに従っていない可能性も考えられるが。
「……遠坂、こんな夜中にいきなり上がり込んで大声を出して、教会の人に迷惑じゃないのか?」
「構わないわよ。どうせ私たちが入り口の前に来た時点で気付いているんだから。悪趣味に隠れて、私たちを観察しているのよ」
「……師をそこまで悪し様に言えるとは大したものだな。凛」
……出てきたか。
見上げるほどの長身。胸元を飾る十字架。何物にも染まらない漆黒の僧衣。神父としては何の変哲もない格好だが、彼が着ていると罪人の管理を行う門番のように見えてしまう。神父は、睨め付けるようにして深夜の来訪者を眺める。
「……ほう」
一瞬だけ、私と目が合う。コトミネも私が再び召還されているのに驚いたのか、僅かに眉を跳ね上げる。しかし、私に対しては何も言わない。ただ、淡々と監督役としての責務を果たそうとする。
「凛。真夜中に、何に用なのだ」
「聖杯戦争に巻き込まれた一般人がいたから、連れてきたのよ。魔力が空になっているから、早く治療して」
† † †
綺礼は、衛宮士郎のサーヴァントが背負っている女性を見るなり、半ば強引に抱きかかえて奥に引っ込んでしまった。以前聞いた話では、この教会で治療に使えそうな部屋は、綺礼の私室ぐらいしかないらしい。おそらく、そこに連れて行ったのだろう。
あの女の人が助かるかどうかは綺礼次第だ。あの神父に怪我人の命を委ねるというのは些か心苦しかったが、私たちに救う手立てがない以上、文句も言っていられない。手を抜くような奴ではない。信じるしかないだろう。
さて、ここでぼんやりとしていても始まらない。私は、横で不安そうな顔をしている衛宮くんに話しかける。聞きたいことは山ほどある。
「衛宮くん……一つ、いえ、沢山聞きたいことがあるんだけど、いいかしら」
「え? あ、ああ。答えられることなら、構わないけど」
「そう。じゃ、早速だけど――と、その前にお礼は言っておく。癪だけど、貴方のお陰で、あの女の人を助け出せたのは事実だし」
まともに戦ったなら、慎二相手に負ける要素は無かった。アサシンはライダーより強く、私は慎二より強い。しかし、人質がいた。あのまま戦って、人質を救い出せたかどうかは分からない。最悪、見捨てる選択をしていたかもしれない。
衛宮くんというイレギュラーがあって、全く危なげなく人質の女性を救い出せた。
矢の攻撃を受けたのは若干引っかかるものもあるが――しかし、もし私が衛宮くんの立場なら、多分同じ事をしただろう。どっちが敵か味方か分からない状況だったなら取り敢えず両方を攻撃するのは、二組同時に戦う危険もあるから下策とは思うが、納得できないこともない。
「……さて」
礼を言ってしまうと、今度はふつふつと怒りがこみ上げてきた。
怒りの対象は、自分と、こいつに対してだ。
私が知らない魔術師が、この町にいたなんて……しかも、隠れ住んでいたわけでもなく、堂々と同じ学校に通っていた生徒だったなんて、しかも顔を見知っていた人間だったなんて、反則も良いところだ。しかも、サーヴァントまで召還している。
横目で、金髪の少女を盗み見る。
顔だけ見れば、可愛らしい外国人の少女でしかない。その身体は、日本人の平均程度の身長しかない私よりも小柄だ。しかし、その実態は極上のサーヴァントだ。クラスは不明だが、その正体はよほど高名な英霊なのだろう。溢れんばかりの魔力は、隠しきれるものではない。マスターだからこそ感じ取れる。おそらく、歴代のサーヴァントでさえ彼女に匹敵する英霊は、そう何人もいない。
実際、さっきの戦闘ではその剣技を見せてもらった。剣を語れるだけの知識なんて無いけど、アサシンが勝てるかどうか分からないレベルだと思う。厄介極まりないな。
「……衛宮くん、貴方もマスターだったのね」
「あ、ああ。遠坂、その……お前も魔術師だったのか?」
……ん? 何か、こいつの言葉が引っかかたけど……何だろうか。魔術師なら、同じ魔術師である私の気配くらい、感づいているはずだろうに。
まあ、良いか。とにかく、立場ははっきりとさせておかないと。モグリの魔術師相手に、後手に回るわけにはいかない。
「ええ、貴方と同じマスターよ。つまりは魔術師って事になるわね。お互い似たようなものだし、隠す必要はないでしょう?」
私は、手の甲に刻まれた令呪を見せる。
「貴方は今まで、上手い具合にこそこそと隠れてこの土地に住み着いていたようだけど、それもお仕舞いよ。聖杯戦争に参加した以上、御三家の一つである遠坂から逃げられる訳なんてないことくらい、当然分かってたわよね。私の事、知らなかったとは言わさないわ」
「いや、その……俺は、まさか遠坂が魔術師なんて知らなかったけど」
……何だって?
「ちょっと、それ、どういう事?」
「え? いや、遠坂が魔術師なんて知らなかったって言ったんだけど。親父はこの町に流れ着いて以来、他の魔術師の話なんて全然してくれなかったし」
「この期に及んで、そんな有り得ない嘘をつく必要なんて無いでしょう。例え貴方のお父様が貴方に話してなくても、同じ学校に通っていれば分かるはずよ。魔術師は魔術師の気配に敏感なんだから」
「ああ、俺はきちんとした教育を受けた魔術師じゃないから、そういう気配とかよく判らないんだ」
「……? 何ですって」
少しばかり予想外の答えを聞いたせいで、声が強ばる。
「……ちょっと待って。じゃあなに、衛宮くんは自分の工房の管理もできない半人前ってこと?」
「え、いや。工房なんてそもそも持ってないけど。俺は」
「はあ?」
工房を持っていない……?
魔術師としての研究の礎ともいえる工房を持ってないと言ったのか?
「どういうこと?」
「えーと、簡単に話すと、さっきも言ったと思うけど、俺の親父って元々ここの人間じゃなくて、よそから流れてきたらしいんだよ。で、親父は俺に魔術を殆ど教えてくれなかったんだ。どうしてなのかは知らないけど……そんなわけで、俺は他の魔術師の気配を感じる方法も知らないんだ」
「……ふーん」
それはつまり、慎二のように回路が無くて単に魔術の知識だけある訳か? だとすると、少し危険だな。魔術の重みも知らずに、ただ興味本位で聖杯戦争に首を突っ込んだだけなら、後々どんな禍根になるか分からない。
慎二と違って常識人みたいだから、サーヴァントを得た事で有頂天になって、人を襲うようなことはしないだろうが、大きな力に振り回されて自滅する危険は高い。
その辺は、きっちりと確かめる必要があるが……
「じゃあ、貴方は魔術を全く使えないって訳?」
「いや、一応強化くらいは使えるけど」
「強化?」
また随分と半端な魔術を使う。使い勝手はあまり良くない魔術だ。その名の通り、物質の特性を強化するんだけど、結局は元ある能力を増大させるだけに過ぎない。刃物ならより切れやすく、ランプならより明るく、という風に。やり方次第では便利だけど、それだけでしかない。だから、強化の魔術を主軸に据える魔術師というのは、珍しい……とまでは言わないけど、あまりいない。
「ま、良いわ。強化が貴方の魔術なのね。一応、魔術師ではあるわけか。で、強化以外はからっきし?」
「……まあ、そういうことに……なるのかな?」
「あのね……」
普通、そこで頷くか? あっさりと自分の手の内を晒すなんて、警戒心がないんだろうか。……いかん。頭痛がしてきた。
「あー、遠坂。俺、何か変なこと言ったか?」
「変な事って言うか……いや、まあ良いけど」
正直、毒気を抜かれてしまった。どうやって弱点を聞きだしてやろうかと思っていたのに、ここまで無警戒だと妙に罪悪感が湧いてくる。聞く気が失せてしまう。まあ、この様子を見る限り、聞き出せる情報も多く無さそうだけど。
「……それにしても、正規の教育は受けてないって事は、あまり才能がなかったのかしら?」
「う」
ぽつりと呟いた私の言葉に、衛宮くんは絶句する。ちょっときつい言い方だったかもしれないけど、そうとしか思えない。
魔術師は、自分の習得した魔術を次世代へと徹底的に叩き込む。そうして魔術師となった子は、自らの子へと同じように魔術を伝達する。そうやって何世代もかけて魔術を高め、最終目標へと到達するのが魔術師である。
それを衛宮くんは習得できなかった。魔術というのは、どうやったって適正がある。特に魔術回路がなければ、どれだけ身体に魔力が溢れていても魔術は使えない。衛宮くんは、さっきの口ぶりからして父親から魔術を授けられたらしいが、才能がなかったから使えなかったんだろう。彼の父がどういう人だったのかは知らないが、我が子に魔術を伝えられなかったのだから、酷く落胆したに違いない。
もっとも、それは彼自身の責任ではないだろう。間桐のように、土地が合わず回路は枯れてしまう例もある。直系の子孫の慎二は回路が存在せず、魔術が使えない。そんなアイツが、どうやってサーヴァントを従えたのかは分からないが、それは本人を倒して聞き出せばいい。
「……はあ。ま、良いわ。それにしても、そんな状態で良くもサーヴァントを召還できたわね。遠坂の事を知らなかったんなら、聖杯戦争も知らなかったんでしょう。どうやってサーヴァントを召喚したの?」
「日課の魔術の練習をしていたら、いつの間にか召喚されたんだよ」
「特に、何の儀式もせずに?」
「ああ」
あっさりと頷いて、衛宮くんは召喚した時の状況を教えてくれた。その話に、私は少しだけ連帯感を感じた。こいつも私も、サーヴァントを召喚した時の状況が似ていたからだ。
どちらも、死にかけていた。単なる偶然だろうけど、何となく面白い。
「ふーん、なるほどね。衛宮くんの家、魔術師が住み着いただけあって、割と魔力が集まってるのかしら」
「さあ……?」
衛宮くんは、首を傾げる。その警戒心の無さに、こいつは本当に魔術師としての教育を受けていないんだと実感する。普通、魔術師同士の会話で、互いの家の事を話題にされれば身構えるものだ。魔術師の私邸は、それ自体が他の魔術師に対しての要塞、城のような物だ。それを探るという事は、相手が自分に対して何らかの探りを入れているのと同様である。
彼は、それに微塵も気付いていないようだ。まあ、無理もないけど。魔術師の世界の常識なんて、普通の感性だと異常としか思えない。
「さて……これで、私が聞きたい事は終わったけど」
「あ、もう……か?」
「ええ」
拍子抜けしたような顔をする衛宮くんに、私は軽く頷いた。
私は、話を切り上げた。実を言えば、衛宮くんと話を始めたのは、情報を仕入れるつもりだったんだけど――彼がこんな状態だと、得られる情報なんてたかが知れていそうだ。それでも、サーヴァントのクラスくらいは引き出せるだろうけど、素人同然の人間相手に姑息な手段を使うのも馬鹿らしい。というより、警戒心皆無の衛宮くんの様子に、毒気を抜かれてしまった。
それにしても、僅かとはいえ衛宮くんが自分の情報を喋ってるのに、特に止めるでもなく静観しているのが気になるけど。見たところ、西洋の騎士のようだけど、こういう陰謀めいた思考すら持ち合わせていない高潔な人物なんだろうか。
「取り敢えず、私からの質問に答えてくれたし、綺礼の資料が終わるまでは貴方の話に付き合ってあげても良いわよ。さっきの闘いでは、助けられた形になったし、それに貴方自身、まだ聖杯戦争に詳しくはないでしょう? 一般的な事なら、教えてあげるわよ」
「……そりゃ、そうしてくれると助かるけど」
私の言葉に、衛宮くんは少しだけ躊躇う様子を見せたけど、すぐに気を取り直したようにこちらの目を見つめてきた。
「それじゃ、まず聞きたいんだけど……」