「うぅ……いったぁ……」
頭が痛い。頭が重い。頭が熱い。さっきから、脳に伝えられる刺激の大半は、そんな感覚だったりする。
考えるまでもない。典型的な風邪の症状だ。
昨日の午後からかなり気分が悪くなり、衛宮の家には寄らずに久しぶりに学校から直接遠坂の家に帰ってベッドに横になっていたのだが……夜中頃には完璧に風邪が体内で暴れ出してしまった。
魔術の修行も出来ず、そのまま昏倒に近い感じで眠りにつき、今朝は無理矢理体を起こして薬を飲んで、また寝込み――ようやく、言葉を発せられるくらいには回復した。それが、今の状態である。
「まさか魔術師が風邪にかかるとは」
いや、別に魔術師が絶対に病に罹らないというわけではない。体が弱っていれば風邪くらいは平気でひく。むしろ、厳しい魔術の鍛錬を行い、怪しげな薬の服用を重ねているから、体力が落ちている場合は一般人より罹りやすい傾向さえある。
無論、魔術回路はその持ち主を守ろうとするが、それにだって限界がある。人間である以上、病から逃れる術はない。斬られれば死ぬし、不治の病にだって罹る。
魔術師は、不死身のスーパーマンでも万能の救世主でもないのだ。まあ、吸血鬼化するなりなんなりすれば、風邪などひかない体になるのだろうが、その程度のことで人間やめるわけにもいかない。そもそも、わたしは不死などという下らない願いのために魔術師をやっているわけでもないのだし。
「うあ……あ」
しかし、これは参った。頭を少し動かすだけで、無駄に鮮烈な痛みが走る。
遠坂の家だから、普通は良く効く風邪薬の一つや二つの作り方くらいは伝えられている。良薬口に苦しの諺通り、とにかく不味い代物だけど効果は折り紙付きだ。一口飲むだけで、全快に近い状態になってくれるだろう。
だが、タイミングが悪いというか何というか。わたしは普段、全く健康体であったのでうっかり薬を切らしてしまっていた。気怠い体を苦労して動かし、家の中を探してみたが材料さえも切れていた。材料を買いに行き、それから薬を作るだけの気力もなかったので、仕方なくそのまま市販薬を飲み続けている。
一応、風邪薬以外の滋養強壮などの薬はまだ余っていたので服用してみた。結果、症状は今朝より大分楽になったようだけど、風邪を一気に撃退するには及ばなかった。気分こそ普段通りとなり、食欲も出てきているのだが、頭痛だけがしつこく残ってしまっている。
一気に治したいのなら適当な宝石を飲み込めば、この程度は簡単に治るのだろうが……風邪の治療に宝石というのは、例えそれが安物であってもあまりに勿体ないというものだ。
と言うことで、他に打つ手無し。わたしはこうやってベッドの上でうんうん唸るしかなかった。
いや、前述したように気分に関しては、それほど悪いわけでもないのだけど……
「う……ぐふぅ」
ただ、この僅かに頭を揺らすだけで、銅鑼を耳元で鳴らされたようにがんがん響く頭痛をどうにかして欲しい。たまに激痛を伝える魔術刻印のそれと比べれば、我慢できないほどではないが、辛いことに変わりはない。
「あたた……」
それにしても、わたしが風邪とは珍しい。
わたしはこれまでの人生のうち、風邪といっても罹ったのは鼻風邪くらいで、こんなに激しい頭痛を伴う風邪をひいてしまったのは初めてだった。とにかく、大袈裟かもしれないが頭が割れそうという形容が尤も相応しい状態だ。以前綺礼に入学祝いだからとしこたまワインを飲まされ、不覚にも二日酔いになってしまった時の事を思い出す。何となく、アレと似ている気がする。
ともかく、起き上がるのも億劫になっているので大事を取ってじっくりベッドの上で体を休めさせている。
まあ、じっとしていれば、多少額が熱いのが自覚されるだけで、気分もそれほど悪くはないのではあるが……そうなると、頭痛以外に問題が出てくる。それは、
「あー、暇」
という事だった。
ベッドでただ横になっているというのも、存外に退屈だ。本を読もうにも、こういう時に限って読みたい本というのが思いつかない。最近は、あまり好みの本が出てなかったし。
せめてもの気休めにと、父の形見である年代物のレコードを付けているが、流れてくる曲はどうにも詰まらない。何せ、父が残した代物なのだから歌は古臭い洋楽か、綺礼が面白がって寄越した賛美歌くらいしかなかったりする。嫌いではないけど、気が紛れる類の音楽ではない。
ちなみに、CDという物は我が家に存在しない。いや、以前は存在していたのだが、ちょっと前に壊れてからは新しく購入することもなかった。流行の歌も嫌いではないけど、たった数曲のために千円単位のお金を出すほどの魅力が感じられないからだ。
この辺り、詰まらない女だと我ながら思うけど性分だから仕方が無い。
「……」
まあ、そんなこんなで気を紛らわせる有効な手段も思いつかず、こうしてうんうんと唸っているわけだ。
せめて話し相手でもいれば良かったんだろうけど……まさか、そのために士郎とかを引っ張ってくるわけにもいかない。
今朝、風邪をひいたから学校を休むと連絡した時の事を思い出す。
「大丈夫か? 何だったら、今からでもそっちに行って……」
連絡もしないと、朝のいつもの交差点でアイツは待ち続けるような気もしたので――実際には、わたしが待ち伏せているだけで、待ち合わせをしているわけでもないのだけど――取りあえず、電話だけはしておいた。
その時、いつものようにこちらを心配してくれたが、看病は断った。こちらの健康管理が失敗しただけなのに、学校を休ませるわけにもいかない。まだまだそこまで深い間柄でもないだろう。取りあえず、薬もきちんと飲んだし大丈夫とだけ伝えておいた。
まあ、看病を断った最大の理由は――正直なところ、風邪で弱り切った姿を見せるのが嫌だったからなのだけど。
ずっとベッドに寝転んでるせいでぼさぼさになってしまっている髪。熱で火照って浮腫んだ顔。汗をかいたせいで発せられる体臭に至っては、普段から体に付きまとっている薬草めいた臭いと合わさって、ちょっと凄い臭いになっていることだろう。鼻もやや馬鹿になってるせいで、確認は出来ないけど。
こんな状態で、会いたいと思えるほど女を捨ててもいない。
まあ、今更着飾らないと会えないような浅い間柄でもないが、わざわざやつれた姿を見せてやるほど物好きでもない。だから、こうして一人ぽつんと屋敷の中で休んでいる。
「ふう……」
それはともかく、ずっと寝ていたお陰で朝よりはマシになった気がする。頭痛こそ酷いが、気分自体は健康時と変わらないほどだ。まあ、だからこそ暇を感じてしまっているのだけど。
どうするかな。そんな事を思っていると、微かに何かの音が聞こえた。
「……?」
空耳か。そう思ったが、数秒経つと確かに聞こえてきた。
「……あ、そうか。誰か来たのか」
二度目のその時、ようやく音が何なのか判った。家のチャイムの音だ。長らく聞いてなかったから、何の音なのか全く判らなかった。一般人はまず立ち寄らない幽霊屋敷のせいで、わたしは自分の家のチャイムの音も忘れていたんだった。
「さて……」
どうするか。
ちらりと、時計を見やる。既に、午後五時を回っていた。学校は、もう終わっている時間だ。となると、士郎か……アイツのことだから、風邪の知り合いを看病するために早く帰る、なんて普通にしそうな気がする。
もし士郎だった場合、このままの格好で出るのは正直遠慮したいが、しかしまさか無視を決め込むわけにもいかない。
「……はあ」
仕方がない。取りあえず、出るとするか。くん、と鼻を鳴らしてもやっぱり自分の体臭はあまり確認できない。どうしたものか……と思いつつ、わたしは玄関へと向かった。
痛む頭を抱えて出迎えてみれば、やってきたのは――桜だった。
「……」
正直、意外だった。てっきり、士郎かもしくはイリヤ、下手したら何かの間違いで綾子かマキジ辺りのクラスメートと思っていたが――というか、それ以外の可能性なんて考えられなかったのだけど――まさか桜だったとは。
だって、桜には部活もあるし――それに、わたしの事を良く思ってもいない筈だし……
「……えっと、部活は?」
正直、混乱するしかなかった。今の状況を茹だった脳では処理しきれず、そんな間抜けな問いしか出せなかった。
「早退してきました」
「あ、そう……」
あっさりとそう言われ、わたしは生返事しか返せない。二年となり、弓道部の主将に選ばれた桜は二年になってから部活を一日も休んだことがない筈だ。それなのに……部活を休んでまで、どうしてこんな所に来ているのだろうか。
余計に混乱した頭は、それでも取りあえずは基本の挨拶を口から発する。
「……いらっしゃい」
「はい、お邪魔します」
追い返す理由もないので、取りあえず家に上げた。というより、あまりに想定外の出来事だったせいか半ば呆然とそうした、という方が正しい。
そして、桜は――わたしもそうだが――どこかぎこちない様子でこの家に足を踏み入れた。
「……」
そう言えば、彼女がこの家に入るのは何年ぶりになるのだろうか。その一大事とも言える光景が、こうしてあっさり実現したのは――何というか、非常に呆気なくて現実感に乏しかった。
何年もこの光景を望んできた――というわけではないが、一生実現できないであろうと信じていた光景が、ここまで唐突に、何の前触れもなく、妨害さえされずに誕生してしまった。
「……で、何をしに来たのかしら」
こうして、わたしの口から発せられる声も、自分の声の癖に何だか妙に滑稽に聞こえた。夢の中で喋っているような感覚。妹が家に尋ねてきただけなのに、探るような声。全てが、何だか忌々しい。
常識的に考えれば、見舞いしかないだろうに。それを、敢えて聞くというのはアンタが見舞いになんて来るはずがない、と暗に言っているのも同然だ。
……衛宮邸で下らない、しかし切実な事でいがみ合ってから数週間。この後輩とは、表面上こそ以前と変化の無い付き合いだったけど、やはりどこかぎこちなさが残るようになっていた。その上で、このようなビッグイベントだ。妙に身構えてしまうのは仕方が無いが、だからといってこの質問は無いだろうに。
「……お茶でも入れますね」
桜はわたしの問いには答えず――無視ではなくて単に聞こえなかっただけ、と思いたいが――一方的に素っ気なく言ってからキッチンのある方へ歩いていった。
その歩みには澱みがない。キッチンの場所を正確に把握しているようだ。場所を覚えていたのか、それとも単なる勘か。
「……頭、痛い……」
確かめたかったけど……取りあえず、わたしは自分の部屋に戻ることにした。痛む頭を抱えながら、階段を上る。その途中、階段の中程で、少しだけ手摺りから身を乗り出して、桜が歩いていった廊下を見詰める。
当然、桜の姿はもうそこにはない。キッチンに入ったようだ。それほど長い廊下でも無いんだから、当たり前か。
「……」
……気のせいではなく、何だか頭痛が酷くなったような気さえした。
きい。
そんな、古びた家に相応しい音が響き、桜が部屋のドアを開けて入ってきた。盆を持っていて、そこには彼女の言葉通りお茶と、さらにどこで見つけたのか切り分けられた林檎と、暖められたグラタンが載っていた。
「……失礼します」
数年振りに吸った空気に緊張しているのか、桜の顔はやや強張っている。表情はぴくりとも動かさず、桜はわたしが寝ているベッドの横に椅子を持ってきて腰掛ける。
「……風邪をひいて学校を休んだと聞いたので、取りあえずお見舞いに」
「……そう」
そんな風に取って付けたような台詞は、さっきは無視された質問の答えだろうか。
この上なく素っ気なかったけど、それでも見舞いに来てくれたという事実がはっきりして、妙に嬉しく感じた。同時に、あんな質問をした自分を恥じる。厚意くらい、素直に受ければ良い物を。
「……」
それにしても、単にお見舞いに来たにしては両人とも気負いすぎだ。どこか探るような目、口調は、病人とそれを見舞いに来た来客と言うには随分と無理がある。ぎこちない遣り取りは、何だかこれから殺し合いが始まってもおかしくない緊張感を生んでいるいたりもする。
そんなわたしの内心を知ってか知らずか、桜は綺麗に切り揃えられた林檎を差し出してくる。
「お腹もすいてるでしょう。キッチンで何も料理した形跡もなかったので、持ってきた林檎と出来合いのグラタンをレンジで温めました」
「……ありがと」
実を言うと、朝から全く食べていないのは事実だけど、正直あまりお腹はすいてなかったりする。でも、折角の厚意を無にするほど無粋じゃないし、無理にでも栄養を採らないといけないのも事実だ。
一口、囓る。
「……美味しい」
林檎は、結構甘味があって美味しかった。少々堅いが、許容範囲内だ。
「……それは、良かったですね」
「……そうね」
そうして、頷き合った後はまた妙な沈黙が降りる。
本来なら和やかに談笑でもする場面だろうに、桜もわたしも殆ど何の口も聞いてないというのが異常な状態だ。まあ、あんな事があって楽しく笑いあえるほど、大人でもないんだけど、わたしも桜も。
だから、ぎこちない。それは当然でも、折角尋ねてきてくれたのにこのままというのも何だか不作法だ。まあ、そうは言っても話題なんて無いわけで。
「それにしても、貴方が見舞いに来てくれるなんて意外だったわ」
なんて、嫌みな事を言ってしまうのだけど。
まあ、わたし達は何だかんだ言っても敵対する間柄な訳で。そもそも、彼女がこちらに来るなんて想像だにしていなかったというのは事実だ。桜が薄情というより、彼女の家と遠坂は昔っから関わり合いになってはならないなんて協定が存在するから。
間桐と遠坂の協定。明文化された法でも無いし、わたし自身は承諾した覚えのないただの口約束。
こんな物だが、父の言葉ということで、わたしはこれまで馬鹿のように律儀に守ってきた。しかし、これまで一度たりとも破られることの無かった物。私が間桐の家に立ち入ることもなければ、桜が遠坂の家に帰ることもない。当然、慎二が我が家の敷居を跨ぐなど許したことはない。
だけど、この日、桜の方はこの協定を自ら破ってしまった。何が、彼女にそれを決意させたのか判らない。桜に破られるくらいなら、わたしの方から破るべきだったのに。
それが、こんな事になっているのは、単に、彼女が元から盟約に拘っていなかっただけなのか、それとも某かの心境の変化があったのか。それは、桜の表情を見ても判らない。
だが、理由なんて正直どうでも良い。ここに、桜がいるというのは紛れもない事実なんだから。
それが、何だか――悔しいようで、嬉しいようで。でも、実感もなくて。それに、先日からの敵対心も混じってどうにも美味く口から言葉が出てくれない。挙げ句、私はこんな事を言っていた。
「邪魔者がいない間に、士郎を籠絡したらどうかしら」
言った瞬間、わたし自身もうわっと思ったが、桜の顔は本当に呆れきった物だった。
「もし、本気でそんなこと言ってるのなら、その熱々グラタンを頭から被せますよ」
「……」
どうやら、本気らしい。その本気を証明するためか、桜はそのままコップに入った水に指を付ける。当然、彼女の指には水滴が付く。桜は、その水の付いた指をわたしの顔の前まで持ってきて、指を鳴らす要領で弾く。
当然、わたしの顔にはほんの数滴だけ水がかかる。だが、それに腹を立てる気にはならなかった。
「……悪かったわ」
さっきの言葉は、折角見舞いに来てくれた桜の気持ちを踏みにじるものだ。それを言うなど……風邪のせい、という言い訳もしたくはない。どうもわたしは、まだ桜に対して警戒心というか負い目というか、とにかく素直には接せられないらしい。下らない柵なんて、かなぐり捨ててしまったと思っていたのだけど、やっぱりわたしはまだまだ未熟のようだ。
やれやれである。こんなところで、割と気丈な桜の強さを見せ付けられるというのも何だか癪だけど……しかし、覚悟の程は向こうの方が上らしいのは認めざるを得ない。
「……うん、美味しい」
そう言いながら口にした林檎は、さっき囓った時よりも何となく、少しだけ渋みが増しているような気がした。
「さて……」
あの後、わたしが林檎を食べ終わり、お茶を飲み干すと桜は無言で後片付けをしてからそう告げてきた。やっぱり、それほど言葉は交わせなかったけど、取りあえずあれから険悪な雰囲気にはならなかったのは……まあ、現状から見れば及第点だろうか。
「じゃあ、私はそろそろお暇します」
「……そう」
特別、引き留める理由も無いのでわたしも頷く。そのまま、ただ寝転んだ姿勢のままなのもどうかと思ったので、取りあえず上半身は起こして。
そこで、ふと気付く。頭痛が、少しだけやわらいでいる事に。消え去ってはいないけど、上体を起こしても頭を抱える無様な真似はしなくても良いくらいには回復していた。
「……」
マシになった原因は、桜が切り分けた林檎を食べたから治ったわけでも無く、単に時間の経過が主な要因だろうけど――それでも、わたしは何となく桜のお陰だと思った。
「それじゃ、失礼します」
「ええ、有り難うね」
だからと言うわけでもないが、わたしはあっさりと、何の気負いもなく感謝の言葉を言えたと思う。少なくとも、さっきまでの変な気負いは消え去っていた筈だ。
「ん?」
そんなとき、再び聞き慣れない甲高い音が鼓膜を震わせた。
「……どなたかいらっしゃったようですね」
それは、桜がこの家に来たときと同じ音だった。この家のチャイムの音。甲高い、機械的な音は正直この家に合わない。
今日は千客万来だ。この家のチャイムが一日に二度も鳴らされるなど、わたしの記憶には一切無い。そんなチャイムが、二度も鳴らされるなんて明日は雪でも降るんだろうか。
「……誰かしら」
とにかく、玄関で出迎えなければならないだろう。気分もまあまあ良くなったし、わたしは桜を送り届けるついでに、その訪問者に応対することにした。
……まあ、正直……後から考えると、どうしてこの人物に思い至らなかったのかが疑問だったのだが。
「……えっと」
「あ、桜。来てたんだ」
「はい。先輩も、お見舞いですか?」
「ああ」
我が家のチャイムを鳴らしたのは、士郎だった。何という、タイミングの悪い……いや、良いのか……? 少なくとも、わたしと桜にとっては変に険悪なシーンを見られずに済んだわけだから。
「……」
しかし、今の状況は少々不味い。とにかく、今の私は人前に出られる状態ではなかったりする。流石に髪は解いてきたけど、ずっと寝ていて目は腫れぼったくなってるだろうし……それに、予想した通りに結構な体臭もあるだろう。
ああ、どうしてこいつが来るかもしれないって事を予想できなかったんだか。桜が来るまでは、多分士郎もここに来るだろうって思ってたってのに。
「……あー、士郎もお見舞いに来てくれたの?」
と言いつつ、取りあえずドアに体を半分だけ隠してみる。いや、まあ今更遠慮する関係でもないが、積極的に見せたい姿でもない。
「ああ。どうしてるかと思って。それにしても、桜が来てたのか」
「ええ。気になったもので。でも、そろそろ帰りますので……」
「ちょ、ちょっと桜……」
わたしは桜の腕を強引に掴んで、家の中に引き入れる。
「……何ですか、先輩?」
「い、いや……もう少しだけここにいてくれないかなと思って……見舞いに来たんだったら、体とか拭いてくれても罰は当たらないわよ」
正直、こんな無様な姿で、あいつと二人きりになるわけにはいかない。だが、桜は澄ました笑顔のままで言い放った。
「お断りします、私にも予定がありますし……それに、体を拭くくらい衛宮先輩だって出来ますよ」
「……あ、あんたね……!」
こ、こいつ……わたしがそういう事出来ないって判ってて言ってやがる。
「? 遠坂、どうかしたのか?」
唐突に、桜を連れ込んだわたしの行動を不審に思ったのか、士郎もドアを開けてこちらの様子を窺ってくる。いや、本当にどうしたものか。
「いえ、ちょっとした内緒話です。それじゃ遠坂先輩、お大事に」
わたしが動揺した隙を突いて、桜はあっさりと出て行った。バタンとドアが閉まる。制止する暇さえなかった。それと入れ違いに、士郎が家の中に入ってくる。
……嬉しいと言えばこの上なく嬉しいシチュエーションなのかもしれないが、わたしは心持ち身を引かざるを得ない。いや、あまり近づくな。こういう酷い顔は見せたくないんだから。
だが、士郎はこっちの気など知らずに顔を覗き込んでくる。
「大丈夫か」
と、そんな風に心配げに言われたら、当然だけど出てけと言えるわけもなく。むしろ、こちらの方が逆に、こいつの心配げな表情を見てみたくて顔を近づけてしまう。本末転倒も良いところだ。
「ま、まあ……桜が来てくれたからかな。多少はマシになったわ」
取りあえず、そんな言葉でお茶を濁すしかない。士郎は、その言葉に納得したのかどうなのか、そっかと頷く。
「さて……何か料理でも作るか?」
まるで、衛宮の家と同じ口調で物を言う。それに、油断してしまったのか。
「……食事は桜が作ってくれたから良いわ。そうね、まあ話し相手くらいはしてくれない? 退屈で退屈で」
なんて、言ってしまったんだった。
ぼさぼさの髪、充血した瞳にそれほど強くはないと思うけど汗の臭い……うう、やっぱり断ってさっさと追い出すべきだった――と思いつつ、しかしこいつが心配してくれるっていう事実は確かに嬉しくて楽しくて。
やたら複雑な気持ちを抱えたまま、わたしは士郎を自室まで案内したのだった。