「はい、遠坂」
 そう言って、いきなり何の前触れもなく士郎が手渡した封筒の中には、一万円札が二十枚ほど入っていた。
「……」
 あまりといえばあまりの突拍子もない贈り物……かしら、これは? いや、お年玉などを別にすれば、金銭を贈り物とは呼ばないような。
 とにかく、社会人ならともかく私たちのような学生なら確実に大金の部類に入る金額を見せつけられて、平然としてはいられない。まして私は、万年金欠の遠坂の当主である。
 ……言ってて空しくなってくる。くそう、みんな貧乏が悪いんだ。
 まあ、それはどうでも良いとして、この金の意味が分からないことには違いない。視線で、これは一体何なのよ、と問いかけてみる。
「あー、えっとだな。バーサーカー戦の時の宝石代。折半するって言う約束だったろ。バイトの金が貯まったから、頭金くらいは取りあえず渡しとこうと思って」
 あ、そう言えば、『あの時』そんなこと言ったっけ。一生かけて返してもらうとか、楽しみにしてるとか言った割には、自分でもすっかり忘れていたのだが。いや、忘れていたというより、色々と忙しくて気にしてなかっただけだけど。私、自分ではかなり金の亡者だと思っていたのだがそうではなかったらしい。
 って、そうじゃない。どうも最近、コイツがアルバイトに精を出してると思ったらこういう訳だったのか……










 最近、遠坂の機嫌が悪い。
 いや、機嫌が悪いというのとはちょっと違うか? 気がつくと、こちらを何か窺うような妙な視線を送ってくるのだ。しかし、それを指摘すると「何でもない」と言う。
「遠坂の態度、どう思う? イリヤ」
 横で煎餅を囓りながらテレビを見ているイリヤに尋ねる。育ちのせいか、そんな堕落したような行動まで優雅に映る。ちなみに、彼女が見ているのは政治のニュースだ。以前、面白いのかと尋ねると「政治を軽蔑する人間は、軽蔑する政治しか持てないわよ」と仰った。
 まあ、つまり彼女は見た目と違い非常に考え方が大人というか何というか。善悪の別を持たなかった頃ならともかく、今のイリヤは藤ねえの影響のせいか物騒な姿勢はなりを潜めている。その弊害として、同時に妙な知識も貪欲に貯め込んでいるようだが……それはともかく、魔術のことも隠さなくていいので相談役として非常に頼りになる。
 だが。
「さあ? そんなの判らないわよ。シロウに対して含むところがあるみたいだけど、貴方に心当たりがないなら私が言えることは何もないわ」
 ……そうだよな。まあ、俺もさして期待して言ったわけでもないので落胆はないけど。
 それにしても判らないのは遠坂の態度である。いつもなら、ポンポンと言いたい放題言ってるくせに、今回に関してはやたら煮え切らない態度をとる。それは嵐の前の静けさという言葉を体現しているかのようで、変に身構えてしまう。
「私に訊くより、シロウが何やったのか思い出すよう努力する方が解決の近道になると思うけど」
「う、うーん……確かにそうだけど、全然心当たりがないんだよな」
 イリヤに言われるまでもない。怒りか何かは知らないが、その矛先は自分なのだ。そして、その矛の担い手は感性を生きる道筋とする赤いあくま。悠長に構えていては、どんな目に遭うか判らない。不測の事態に備えて予防策を考えるためにも、遠坂の奇妙な態度の原因を突き止めなければならないのだ。
 いや、そんな理由よりも純粋に気になる、と言った方が正しいか。やっぱり遠坂は何だかんだ言ったって、俺にとっては憧れの対象なんだ。何かあるのなら、微細ながら力になりたいと思う。
 ……が、最近の遠坂との会話を思い返しても、特別なことは何も無かったと思う。本人に訊いても何でもないとか言ってくるし。
 これが、単に怒っているだけなら別に良い。いや、良くはないが心当たりには事欠かない。不甲斐ない弟子なので、魔術関係では毎日のように遠坂に呆れられ怒られているのだから原因は山ほどある。この場合、しっかりと謝れば遠坂はサッパリした性格なのですぐに許してくれる。
 しかし、今の彼女は怒っているというのとは微妙に違う。まあ、何がどう違うんだと問われれば具体的には言えないのだが……とにかく、挙動が不審だ。
 気にはなる。当然気にはなるのだけど……理由が分からない以上どうしようもないことも確か。
「……まあ、放っておこうか」
 気を取り直し、そう思うことにする。
 何か個人的なことで言い辛いのかも知れない。あの傍若無人さからあまり考えられないが、遠坂だってまだ成人前の少女だ。人に言えない悩みくらいはあるだろう。なら、しつこく尋ねるのは逆に迷惑になりかねない。
 まあ、何かにつけて自分で貯め込んでしまう桜ならともかく、遠坂なら必要なことはいずれ言ってくれるだろう。あまり心配する必要もない、と思っておこう。
 ……後日惨事が起き、この決定を後悔することになるかもしれないが。ただ……何も言ってくれないというのはちょっと寂しいかな。それが、単なる我が儘であることは判っているけど。
「案外、何もしていないっていうのが原因かも」
 取りあえず様子を見ると決めた俺に向かって、イリヤは変なことを言った。
「え? それってどういう意味だ?」
「別に。ただ、リンもサクラも報われないなって」
「?」
 何だってここで桜が出てくるんだ?
「平和ね」
「???」
 そんな俺の疑問を余所に、イリヤはテレビを見続けた。










 普段、魔術の訓練は衛宮邸で行っている。学校から一緒に衛宮家に直行、そのまま夕食を桜や藤ねえと共にし、その後魔術の訓練というのが最近の衛宮士郎の生活となっている。
 いつもの部屋、いつもの位置。遠坂はベッドに、俺は椅子に腰掛けている。
「さて、始めるか。……遠坂?」
「え? ああ、うん。今日はちょっと薬を持ってきたから、まずはこれを飲んでみて。魔力の質を高める効果があるから。ちょっと熱が出るけど我慢して。すぐにひくし」
 遠坂は訓練が始まると、いつもなら、俺を振り回すのを楽しむかのように矢継ぎ早に指示を出してくる。それが、今日は俺が促すまでやっぱりこちらを眺めていた。
 睨むのでもなく。微笑むのでもなく。ただこちらをぼんやりと見つめている。
 それは、ここ最近の遠坂が行っている奇妙な行動だ。
「……まあ、いいけど」
 釈然としないながらも、遠坂が差し出した薬を受け取る。
 気にしない、とイリヤには言ったもののやはり気になる。だいたい、本人が目の前にいるのに気にしないというのが無理なのだ。だが、訊いても答えてくれないし……
「……」
 彼女とは聖杯戦争で生死を共にし、同じ屋根の下で同じ釜の飯を食べ、今では魔術の師弟関係を結んでいる。
 俺は、以前から密かに憧れていた彼女とここまで近づけて素直に嬉しかったし、今では彼女を桜や藤ねえと同じく家族同然だと思っている。古い言い方だが、同じ釜の飯を食った以上はそれくらいに思ってもいいだろう。
 しかし、彼女は俺をどう思っているのだろうか。何かに悩んでいるみたいだけど、それを話してくれないというのは己の無力さを痛感させる。
 ……遠坂に頼りない男と思われるのは何となく嫌だ。だいたい、最近バイトを増やしたのもバーサーカー戦に使われた遠坂の宝石代を稼ぐためだし。まあ、何だかんだ言って俺も男だということで遠坂には見栄を張ってしまう。
「ふう」
 そんな馬鹿な考えを、薬と一緒に飲み込む。
 本当の家族だって話せないことはあるし、それを尊重するのも家族として大切なことだと理解はしている。俺だって、桜や藤ねえに話せない事なんて山ほどある。特に、聖杯戦争に関することは絶対だ。イリヤが慎二を殺したことは桜にも話してはいないし、俺が言峰という神父を手にかけたことも藤ねえには話していない。逆に、桜や藤ねえにだって、俺に話せないことくらい幾らでもあるだろう。
 それなのに、まったく何馬鹿なこと考えてたんだか。
「……と」
 馬鹿なことを考えたせいでもないだろうが、遠坂が言うように熱っぽくなってきた。体調も幾分変化していく。
 気分が悪くなったわけではない。頭痛や吐き気もない。ただ、マラソンを完走したときのように疲労が澱の如く徐々に溜まる。
 強いて言うなら、酒を飲んだ時に感じる酩酊感に似ている。体が熱くなり、頭がぼうっとする。足はふらつき視界は狭まり、故に満足に動けなくなる。なのに、それと反比例するかのように精神は肥大化し、高揚する。
「……ん」
 奇怪な、独特の感触から逃れるように、椅子に深く座り直す。深呼吸して、できるだけ精神を落ち着かせる。
 喋ることも億劫になり、無言のまま――少女に視線を向けた。特に意味もないのにそうさせたのは、先程の馬鹿な考え故か、それとも別の何かが原因か。単に、目を向けた先に彼女がいただけかもしれない。
 いや、別におかしいことはない。遠坂が俺を見ているのは、薬が効いているかを観察しているのであり、俺が遠坂を見ているのはこの部屋の中で一番綺麗で目を惹かれる存在だったからだ。
 必然として視線が交差しただけ。
 そして、どちらも逸らすこともなく、視線は絡み合う。
 その視線は、気のせいかやはり俺に対して何か言いたげで。
 ……何で、これほど気になるのか。知りたいと思ってしまうのか。
 熱がどんどんと高くなり、心臓の鼓動も血液の流れも熱に負けじとその勢いを倍加させる。その流れに押し出されるように、下らない欲求も大きくなり。
「……遠坂」
 だからだろうか。以前にも言って「何でもない」とやんわりと拒絶された先程の馬鹿な考えを、また口に出してしまったのは。
「何か、言いたいことあるのか」










「うーん」
 士郎が気にしていたのは判っていたが、ここで訊いてくるとは――いや、ここまで気にかけていたというのはちょっと予想外だった。
 コイツは自己犠牲の塊だが、自分が無いというわけではない。自分が無ければ、そもそもあの少女を愛することなど無かっただろう。
 そう、確固たる自意識を持っている。それなのに、自分を蔑ろにしてしまえる異常性。まるで強迫観念に突き動かされるように。あの桜の露骨ともいえる好意にすら気付かないのも、本人の鈍感さの他にも、自分に関心がない――関心を持つことに恐れすら抱いているが故だろう。
 そんな彼が、私のちょっとした言動を『特別』に気をかけてくれているというのは素直に嬉しく、またそんな感情を彼に抱かせた自分が誇らしい。
 まあ、別に言う気もなかったが、士郎は結構気になっているようだし私も今は気分が良いので特別に教えてやろうか。
「貴方、この前お金くれたでしょ」
「は?」
 答えてくれるとは全く予想していなかったのか、士郎は――熱で浮かされているからか普段の倍くらい――間の抜けた声を上げた。
「え、ああ。確か三日前だっけ。それがどうしたんだ」
「うーん。なんて言ったらいいかしら」
 いざ言う段階になって、少し詰まってしまった。
 いや、別にただ言葉を紡ぐだけならどうって事はないのだが……よくよく考えると、言い方次第で目の前の朴念仁にも大ダメージを与えられることに気が付いたのだ。
 頭の中で瞬時に会話を組み立てる。目の前の男の性格をも考慮し、返答も予測して。それはアーチャーの心眼にも匹敵したかもしれない。
「士郎、あの時の宝石の合計金額って覚えてる?」
「……覚えてるよ」
 苦々しげに答える士郎。いや、確かにあの金額は考えるだけで頭痛がするが。それでも本気になって返そうとするのがコイツだけど。
「で、衛宮くん。そのお金を全額返還するのに、何年くらいかかりそう?」
「……えっと……まあ、かなりの年月がかかるかと思う」
 そりゃそうだろう。半端な金額じゃないのだから。
 単純に、それだけの金額を稼ぐだけなら不可能ではない。しかし、働いて金銭を得るということは生きるということであり、生きている以上出費というものは出るものなのだ。
 その収入と出費の差額から細々と返しても、あの宝石の代金はそう手が届くものではない。
 ……まあ、この男が実業家にでもなれば不可能ではないのだろうが、そんな姿はあんまり想像できない。
 別に似合わないわけでもない。人間努力すれば大抵のことは出来てしまうようになっている。士郎はさほど頭も悪くなく努力を惜しまない人間だ。その道はさほど困難というものではないだろう。それでも、やっぱり想像できない。だって、彼が目指すモノはそういったものではないのだから。
 ま、それはともかく士郎がお金持ちになれない以上、全額返すのには途方もない時間が必要なわけで。
「その間、ずっと私にまとわりつくって言うこと?」
「へ?」
「違うの?」
「い……え?」
 私の言葉に、大慌ての士郎。
 逃がさない。
「衛宮くん、はっきりいって定期的に男から金銭が送られるなんて噂は結構外聞が悪いものなんだけど。これって私を陥れるために貴方が仕組んだ深謀遠慮なのかしら。もしそうなら、どうしましょう。我が弟子がここまで頭脳明晰だなんて嬉しすぎて、思わずこの家を半壊させてしまいそうだわ」
 精一杯の笑顔でそう呟いてやる。
 これは単純でささやかな復讐だ。初めて男から貰った贈り物が金銭とはこれいかに。別に彼に悪気があるわけでも無いので怒るというわけでもなかったが、やはりどこか引っかかっていた。それが態度に出て、士郎が不審に思ったというわけだが。
 女心の判ってない朴念仁が妙に苛立たしい。
 ちなみに、私がこれまで受けた数多くの告白の中には物を押し付けてきた人もいた。しかし、付き合ってもいない男からの贈り物を受け取るのは、相手を期待させることになって本人にも悪いので全て丁重に返却している。
 つまり、父親から継承された魔術刻印や宝石、エセ神父からの服などを除けば、あの二十万円が遠坂凛にとって初めて男から貰った贈り物だったのだ。あ、そう言えばアーチャーがこの馬鹿を黄泉返らせた宝石を渡してきたこともあったが、アレは元々私のなのでプレゼントとは言わないだろう。
 そんな記念すべきものが、金銭という色気のない物というのに若干腹が立った。そして、そんなものを素直に受け取った自分が結構苛立たしく、さらには心底喜んでしまった自分の色気の無さに激怒したのだ。
 いやいや、言葉として発するとどうしてどうして、自分が結構拘っているのが実感できた。心の中へと押さえている間は、どうでもいいことと軽く考えていたので言う気も起きなかったくらいなのだけど。私は存外にこういった乙女めいたことを重視するタチだったらしい。いや、そもそも気にしてなきゃ挙動が不審になどならず、コイツに気付かれることもなかっただろう。
 完全に八つ当たりな気もしなくはないが、そもそもの発端はこの朴念仁なのだからやっぱりこれば八つ当たりではないのだ。うん、自己欺瞞及び自己弁護完了。
 だいたい、これは彼を追いつめるための策なのだから。
「で、どうなのかな衛宮くん。あ、もしかして親友の柳洞くんのために遠坂凛の評判を下げるおつもりなのかしら」
「ち、違うぞ遠坂」
 現在は、藤村家に居候している柳洞一成。何でそうなったのかというと、訳がある。聖杯戦争終結の場である柳洞寺は、エクスカリバーの余波を受けて、全壊こそ免れたがボロボロになっている。そのため、彼の父親が縁を頼りに藤村先生の祖父に相談したところ、修復が完了するまで居候として招かれるようになったらしい。他の修行僧は一時的に近隣の寺や実家で養生しているとか。
 ……ヤクザの親分と親交のある住職というのも凄まじいが。案外、一成のあの堅物ぶりは父親を反面教師にした結果だろうか。その堅い性格の形成過程に興味はないが、中学時代からの腐れ縁であるあの男は遠坂凛を敵視している。度々、衛宮士郎に「あの魔女には近づくな」と諭しているらしい。
 ……あの男、自身では霊感が無いとかほざいているらしいが、案外とんでもない魔眼の類でも持ってるのではないだろうか。この私を猫かぶりな魔女と見抜くとは。確証もないくせに直感だけで断言している辺り侮れない。
 そんな邪魔者が近くにいるので士郎を落とすのがちょっと困難になっている。その堅い性格のお陰で藤村家から善意で出されている食事を断れず、衛宮家の食卓に顔を出さないのがせめてもの救いだが。
 まあ、邪魔者でも衛宮士郎の親友であることは確かである。あまり悪口を言って目の前の男からの好感度を下げるのも馬鹿らしいので、とっとと終わらせるか。これ以上言うと士郎は怒るだろうし。
 何より。
「ご、ごめん。遠坂がそんなこと気にしてるなんて思わなかった。俺も配慮が足らなかったと思う。今度からは銀行振り込みとか小切手とかにするから」
 こんな風に、あくまで返すと真っ直ぐに言い放つ彼を前にして、怒りを持続させるというのも困難極まりない。どの道、私は彼を怒るつもりではなく追いつめるためにこの話題を出したのだ。
 士郎の慌てた姿を見たこともあり、私の中を満足感が支配する。そして、詰めに入る。余りにもあっさりとここまで到達したが、まあ相手は士郎だし簡単だ。
「別に気にしてるとは言ってないけど。貴方、あの時一生かけて返すって言ったじゃない。男に二言は無いわよね」
「ぐ……」
 ああ、コイツを手放すつもりなど毛頭ない。そもそも、あの宝石はどうせ聖杯戦争で使い切るつもりだったのだ。そりゃ、金額が金額なので一瞬だけ使用を躊躇してしまったが。でも、その躊躇から愛しい人間を拘束できる理由が出来たのだから、アレはアレで棚牡丹だったのだろう。
 そうそう、だから一つだけ釘を刺しておかないと。責任感が強いコイツが、返済のためのアルバイトを増やしたことも引っかかりの原因だ。
 私のために働いてくれているという事実は嬉しかったが、同時に若干の疲れのせいで私との時間――魔術の鍛錬に影響していたのもまた事実。私は、コイツの疲れた生返事を聞くために魔術を教えてやっているのではないのだから。
 しかも、金を稼がれては私が彼を縛る理由が無くなってしまう。まあ、実際には既に一生かけて返してもらうという確約は得ているのだが、ゴタゴタしていたし確認のためということで。
「士郎、貴方は私の弟子なんだから約を違えるような無様な真似は許さないわ。でも、魔術の鍛錬に影響があるような無茶なアルバイトは今後禁止。別に急いで返さなくてもいいんだからね」
 いずれ理由が無くとも離れられなくしてやるが、今はまだその域に達していない。保険はかけておいた方が良いだろう。










 ……えっと、その言葉の意味するところはつまり、遠坂の最近の変な態度は、あの金が原因ということか。俺がアルバイトを増やし、それが魔術の鍛錬に影響が出たのが不満だったと。
 まあ、彼女は真面目に俺を見てくれているし、それじゃ気にもなるよな。
「悪い。俺、自分のことしか考えていなくて。そりゃ、魔術の師匠の遠坂から見れば、不満だよな」
 うん。これからは気をつけよう。
「……ま、アンタがそう考えるのは判ってたけど」
「え?」
「いや、こっちの台詞。木石なんかに言外に篭められた意味を見抜けっていうのは不可能だしね。ま、嬉しいことを思い出せたし、再度確約は頂いたし、結果オーライかな」
 遠坂の言い方は婉曲で判りづらい。が、何となく馬鹿にされてるような気がする。
 まあ、彼女の奇妙な言動の理由が判って一安心といったところか。でも、それが自分のせいというは情けないというか。だいたい、彼女は自分の時間を割いてまで俺を見てくれているのだ。
 それに、彼女の力になれなかったどころか、俺自身の行動を気にかけられていたというのは何となく……
「なあ、遠坂。今度から、俺になんか言いたいことがあればはっきりと言ってくれ。いや、俺は頼りなくて嫌だろうけど……少しは頼っちゃくれないか。至らないところがあれば直すし、困ってることがあったら微力ぐらいにはなるし」
 俺は気が付くと、そんな言葉を口にしていた。俺だって男。やはり女の子から情けないとは思われたくはない。特に、相手は一年の頃から憧れていた女の子で、聖杯戦争で正体を現したあくまで、なのに前以上に憧れてしまうなどという訳の判らない相手で。
 いや、戦争中に大いに無様な真似を見せたから手遅れかもしれないけどさ。
 そんな俺に遠坂は、
「別に、嫌じゃないけど」
 等と仰った。
 え――
「嫌、じゃないのか?」
「ええ。私、自分が優れているっていうのは判っているけど、それでも絶対に間違えないなんて考えるほど自惚れ屋じゃないわ。私は独走しがちなところがあるからブレーキ役は欲しいし、一人より二人でかかった方が効率よく敵を倒せるしね」
 物騒な例えだな、おい。でも、今はそんなことはどうでもよく……何となく嬉しい。
「じゃ、いいのか」
「いいもなにも、私たち、今更そんな遠慮するような関係? 一緒に登校してご飯食べて魔術の鍛錬して。三年になってクラスも同じになったから下手すると起きてから寝るまでずっと一緒にいるようなもんだけど」
 ……確かにそうだ。いや、改めて指摘されるととんでもない状況だ。
「そうだな。まるで恋人みたいだな」
 一週間くらい前、美綴に遠坂と付き合ってるのか尋ねられたくらいだし。無論、俺と遠坂はそんな色っぽい関係ではないので否定しておいた。曖昧な態度をとって誤解させてしまうと、遠坂だって迷惑だろうし。そういや、あの時の美綴はやたら青い顔をしていた。まるで鬼か悪魔でも目の当たりにしたかのように。結局、早退しちまったし。
「あれ?」
 そんでもって、目の前の遠坂はあの時の美綴とは逆に真っ赤になっている。いや、確かに彼女は赤いあくまだと言っても――言ってるのは俺だけだが――それは服装であって顔ではない。
「どうした、遠坂。もしかして、遠坂もこの薬飲んだのか」
 熱がありそうだったのでそのように言ってみたのだが、返ってきたのは半分に引き絞られた遠坂の鋭い視線と、
「どうしてそう言うことがさらっと言えるのよ。相変わらずルール無視して、この馬鹿」
 というお言葉だった。こっちは心配して言ったというのに、理不尽だ。
「なんでさ」
 だけど、どうってことない。普段なら理不尽な悪口に多少堪えてしまうのだが、今はそうでもない。先程の嬉しさでかき消されたからだ。やけに笑みがこぼれてしまう。

 何故かその時、前に道場でイリヤと一緒にサンドイッチを食べていたセイバーの顔が浮かんで。

 気分が良くなったからなのかどうなのか――いつの間にか、熱もひいていた。










「あ……」
 その微笑みを見て、心臓が高鳴った。
 この男と師弟関係を結び、曲がりなりにも現在最も彼と近しい位置に立つことで判ったことがある。衛宮士郎は、笑うということが実は殆ど無い。誰かが漏らした冗談で吹き出したり、苦笑めいた物を浮かべることはあっても、こんな満ち足りた笑みというのは――数えるほどしか見ていない。
 その笑顔こそ、私が一番好きな彼の顔だ。
 その全ては、あの騎士王との日々を思い返してのもの。それが、今のは彼が私のことを思って浮かべたものだ。それを見たのは初めてかもしれない。ひょっとしたら、単に私が見逃しただけで前にも見せてくれたことがあるのかもしれないが、そんな記憶に残っていないことはどうでもいいことだ。
「……」
 となると、やはり私は徐々に彼の中に踏み込めているのだろう。他愛もない会話や食事や鍛錬やらの合間に。その速度が、果たして世間一般で速いのか遅いのかは判らない。だが、取りあえず前に進めていることだけは確認できた。
 しかし、その程度で赤くなって幸福感に満たされてしまうとは、私も安い女になったものである。いや、ひょっとしたら高くなったのかもしれないが。
 まあ、見ていて楽しいモノを否定してしまう旨みはない。
「士郎、もう一度笑いなさい」
「え?」
「いや、だからさっきの笑顔よ。浮かべてみなさい」
「……何でさ」
 心底不思議そうに問いかけてきやがった。
 そんなもの、私が見たいからに決まってるじゃないか。判らない奴だ。ここは黙って微笑むところだろうに。
「はあ、別にいいわ」
 実際、この程度で満足してしまっているのだから。どうせ先は長いのだ。笑顔など、いつでも見られるくらいの位置にさっさと立ってやればいいだけの話。
「何なんだよ、一体」
「何でもない。さ、魔術の鍛錬続けましょう。そろそろ熱もひいてるでしょ」
「え、ああ」
 明らかにこちらの言動に戸惑っているようだ。声に困惑の色が混じっているのを隠しきれていない。
 それは、聖杯戦争中と変わっていないように思える。だが、確実に何かが変化しているのだろう。
 一応、きちんと前に進んでいることが確認できただけでも収穫だ。吊り橋云々の効果を論じるまでもなく、聖杯戦争とまではいかなくても何か危険な状況に陥ればコイツとの仲も燃え上がるのだろうが……まあ、何とでもなるだろう。
 別にコイツとセイバーはそんな危機が無くとも惹かれ合っただろうし、この私が危機に陥ったところで手近などうでもいい男を愛してしまうとも思えない。
 なら、急ぐ必要はあっても焦る必要はない。こんな穏やかな日常でも、変化し続けているのだし。何より、この日常は遠坂の屋敷で一人魔術の特訓をしていたあの時よりも確実に楽しいのだから。
「それじゃ、今日は発火の練習よ。魔力が高まっているだろうから、それでこの紙を燃やしてみて。焦げ目が付けば上等だけどね」
「おう」
 さて、これからどうしましょうかねと。
 交通標識も信号も何もない、迷いそうなくらい幅のある道路を試行錯誤しながら進んでいこうか。
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後書き

最近、士郎と凛のカップリングに転んでます。うーむ、本編やってるときは、勿論好きでしたが、特にというわけではなかったんですが。
それにしてもこの宝石のネタ、本編のバーサーカー戦をやり直していた時にふっと浮かんだものなんですが、変に長くなっちまいました。あと、内容が前の第二章とあんまり変わらない。オチも弱いですかね。出来はいまいちかもです。
一応、話の中でさらっと言ってるように、二章から一週間ほど経ったあたりです。だから、内容もあんまり変わらないんですが。
さて、今回ちらっとイリヤが出てきたりしましたが、次回から桜も出てくる予定なので、ちょっと変化が生まれるかと思います。……予定は未定ですから断言できませんけど。
まあ、その前に、キリ番リクエストの18禁 SS を書かねば。カップリングはお任せとのことなので、士郎×凛で行こうかと思ってます。
それでは、お読み頂きありがとうございました。
平成16(2004)年 9月25日  辰田 信彦